2012年10月6日土曜日

若松孝二のてのひら

昨日は、「海燕ホテル・ブルー」に引き続き
「11.25自決の日」「千年の愉楽」の上映とティーチイン。
それぞれ、詳しい情報は入ってきていないが、
恐らく、刺激的な会話が交わされた事と思う。
そして本日は、現地メディアの取材をこなした後
夕方から、若松孝二の「ハンドプリント」(=手形を押す)イベントが行われた。
釜山の地に、若松孝二の手形が残された。
監督の手は、労働者の手だ。
17歳で宮城を飛び出し、ニコヨン、和菓子やの丁稚小僧、あらゆる仕事をして来た。
そして、映像の世界に飛び込んでからも、バカマツと言われながら
下積みを経て、映画監督に。
監督になってからも、自ら交通整理をしたり
小道具の料理を作ったりと、手と身体を動かさずにはいられなかった。
以前、東京映画祭で「実録・連合赤軍」がある視点部門に招待され
レッドカーペットを歩くように言われた時
「映画作りなんて、偉そうに赤いカーペットを歩く商売じゃないんだ。
 俺は所詮、映画作りしかできないから、映画を創ってるだけだ」と言って
正装してカーペットを歩くことを断固として拒否した。
あれから数年の間に、ベルリンで銀熊をとり、
カンヌとベネチアに招待され、今回も釜山で名誉ある賞を受賞した。
歩けと言われれば、正装してカーペットの上も歩く。
取材も、求められれば応じる。
話せと言われれば、登壇する。
監督の周辺は一気に華やいだ。
しかし、監督の手は、やはり労働者の手だ。
ものづくりへの気持ちも、何も変わっていない。


井浦新から送られた、この写真を見ながら、
改めて思った。
そして、今夜、マスタークラス講演会に登壇している。

ものづくりへの思いを、どのような言葉で語るのか。
そもそも、語る言葉を十分持ち合わせないから
若松孝二は映像で表現するのであるが、
それでもなお、どんな言葉が飛び出したのか
帰国後の報告が楽しみである。

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