2011年2月18日金曜日

2011年02月18日

2月15日、市ヶ谷の防衛省へ。
かつての陸軍士官学校1号館だった市ヶ谷記念館などを見せてもらう。
 

 
この記念館の1階にある大講堂は
極東国際軍事裁判(東京裁判)の行われた場であり
この記念館の2階にある前陸自東方総監室が、
三島由紀夫と森田必勝が自刃した場である。
まさに、昭和の空気が色濃く充満している建物だ。
若松監督は、総監室から、窓の外のバルコニーに目を転じた。
そのバルコニーこそ、三島が「諸君の中に、一人でも俺と一緒に起つ奴はいないのか?」と
自衛隊員に呼びかけた場所だ。


すでに各地の舞台挨拶などでも公言している通り
監督の次回作の1つが「三島由紀夫」。
今回の見学にはNHKの取材クルーが同行。
「現場を目にして、どのような思いが?」との問いに、
監督は「ますます(「三島」を)撮ろうという思いが強くなりました。
彼らは、どんな思いで、この場所に来たのだろう、と。
僕は、再現ドラマを撮るつもりはありません
人間としての三島をどう描こうかと考えているのです」と語った。


監督の頭の中で、さまざまなイメージが一つの流れとなって渦巻き始めている。
その手応えを感じた一日となった。

2011年2月13日日曜日

海の家に響く怒号

撮影2日目。吹雪いたかと思うと、薄日がさし、また粉雪が舞う。変わりやすい冬空の下で、男が列車に乗り込むシーンの撮影。車内は監督と地曵さん、撮影部2名だけの、ゲリラ撮影。線路の向こうには、強風にうねる日本海が深緑色の波しぶきあげている。監督、キャメラの辻さんに、実景撮りの指示も出す。恐らく、監督の頭の中には、近くクランクイン予定の「三島」があるのだ。
 


その後、バスで北上し、海の家で、男が出所後初めて食事をとるシーンの撮影。到着してわずか数分で準備が整い、あっという間にキャメラが回り始めた。
閑散とした冬の海。どんよりとした灰色の空を見つめながら、湯気の立つお椀をすすり、ご飯を頬張る男。しばらくすると勢いよい咀嚼が止まる。久しぶりのボリュームある食事に、刑務所の食事に馴染んだ胃が過剰反応を起こす…。
その瞬間、監督の怒号が響いた。そんな時、どう感じるんだ、もっと戸惑うだろう、もっとうろたえるだろう、もっと、もっと!!
監督のイメージが、ぐいぐいと役者を追い詰め、表情がますます研ぎ澄まされていく。
あっという間に3カット終了。
昼食を挟んで、男が嘔吐するシーンと海岸を歩くシーンの撮影で、今回の予定は全て終了した。

監督は、あまりこまごまとしたディテールにこだわらない。ただ、そこの芯にあるもの、その瞬間の人間の生の迸りのようなもの、その一点に集中して、そこだけは妥協しない。理屈ではなく、嗅覚のようなものだ。
男の目が見据える先に、その視線の先に、監督はどんな世界を紡ぎ出すのか、これからのロケに静かな興奮を覚えるクランクイン2日目となった。

若松組、始動!

2月9日朝、代々木駅前を出発したロケバスの車内で、若松組クランクイン恒例となった、赤飯のおにぎりが配られた。バスは一路、冬の新潟へ。車内には、程よい緊張がみなぎっていた。
そして、時折粉雪の舞う北国の刑務所前で、ファーストカットの撮影が始まった。灰色のコンクリートの横を歩く、一人の男性の姿。五年の刑期を終えて出所してきたばかりだ。
 


男を演じるのは、「実録・連合赤軍」で森恒夫氏を演じた、地曵豪さん。
船戸与一原作の「ホテル海燕ブルー」が、若松孝二によって、新たに生まれ変わっていく。

その日予定していた撮影は、あっという間に終了。監督の早撮りは健在だ。目の前の役者と風景を、次々にキャメラで切り取っていく。
それにしても、北国の凍てついた風景と監督は、よく似合う。人の心の乾きや熱さを、その風景の中で、巧みに映像にしていく。
四年前の、連合赤軍のロケを思い出した。

2011年2月9日水曜日

早稲田松竹で二本立て、スタート!

 

2月5日(土)、早稲田松竹で「実録・連合赤軍」と「キャタピラー」の二本立て上映がスタートしました。2作品で4時間半以上もの長丁場ですが、場内は満席、上映終了後の興奮冷めやらぬまま、若松監督のトークイベントが始まりました。
 まず監督は、自身のパレスチナのシャテーラキャンプの大虐殺の経験を語り、「常に女性や子どもの弱者が犠牲になるのが戦争だ」と「正義の戦争も国家のための戦争も、まやかしだ」と話しました。「沖縄の米軍基地問題も、小学生の女の子が3人の米兵にレイプされる事件がきっかけになって、基地問題が大きく取り上げられるようになった。だけど、米軍の一兵士が悪いという問題じゃない。戦争というのは、戦場というのは、それだけ、人間性を破壊するものだということ。日本の特攻隊の若者たちだって、1銭5厘のハガキで召集され、クスリ入りチョコレートを食べさせられて突撃させられた。そういう戦争の実態がある」という監督の話しを受けて、次々と「キャタピラー」や「実録・連合赤軍」の作品について、質問の手が挙がりました。
「寺島さんが、勲章や額縁を倒したシーンで、なぜ、天皇の写真は倒さなかったのか?本当は一番倒したかったのでは?(キャタピラー)」
「高校生です。映画の中で花を食べちゃう人がいましたが、戦時中であれば、ああいう人は村の中でひどいイジメに遭ってしまうのでは(キャタピラー)」
「自分は早稲田の大学生だが、当時、火炎瓶投げて、授業料値上げ反対を叫んでいた人たちが、今や教授になって、僕たちから高い授業料を取って、いい生活をしている。定年になれば、僕らの働いたお金から高い年金をもらうんだろうと思うと、あまりに無責任じゃないかと思うのですが(連合赤軍)」等…。
 実にストレートな質問が続きました。
 天皇の写真については「僕は何も言ったわけではないが、寺島さんは、やっぱり、そこは考えて演じてくれたんじゃないか。もし、天皇の写真までやってたら、それこそ、右翼が黙ってなくて、大変だったんじゃないかな。僕も、そこまで度胸ないですし(笑)、これが上映できなかったら、それこそ無一文ですから…」と答え、場内の笑いを誘いました。
 花を食べていた人物については「昔、戦争に連れて行かれないためには、バカのフリをするか、醤油を飲んで肺病のフリをするかだったんです。あれが、本当の反戦ですよ。なにも、暴力やデモだけが抵抗の方法じゃない。ああいう抵抗の仕方だってあるんです。一人一人が、そういう抵抗の方法を考えればいいと僕は思うんです。思考停止に陥らないことですよ。若い人は、世間にかき回されない方がいいよ」
 早稲田の学生からの団塊の世代の教授批判については「先生に、食ってかかったらどうですか。そりゃ、ずるいよ、みんなを煽動し、運動に走らせて、終わったら、さっさと戻ってのうのうとやっている。それこそ、今の学生たちが、糾弾すればいいんじゃないかと思う」と語り、連合赤軍のあまりにむごたらしい総括についての質問に対して「組織を作ると、必ずそうなるんです。権力が生まれると、邪魔な奴は消していこうとするんです。日本でも、相撲協会でも、会社組織でも、世界でも、同じでしょう。うるさい奴は北海道へ飛ばしてしまえ、というのも同じ。人間の欲、権力の欲。ご飯を食べられて楽しく生きられりゃ、それでいいのに、どうしてか、人間の心はそうなってしまう」と、権力と組織の普遍的な形として、総括を語りました。
「実録・連合赤軍」と「キャタピラー」、2つの作品が交錯し、組織と個人、男と女、暴力とエロス、濃密な若松ワールドが展開している早稲田松竹、上映は今週いっぱいです。劇場へぜひ、足をお運び下さい!